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報道と書評 目次

■大阪市今昔写真集 東南部版

2009月12月15日発行 監修/石浜紅子

■大阪市今昔写真集 西南部版

2009年9月18日発行 石浜紅子/監修

■保存版 知多巡礼紀行

2009年7月3日発行 知多四国霊場会/監修

■名古屋情熱時代

2009年2月28日発行 元名古屋タイムズ編集局スタッフ/編

■岩倉・西春日井今昔写真集

2009年2月21日発行 林董一/監修

■京都市今昔写真集

2008年12月12日発行 白幡洋三郎/監修

■澤田久夫写真集 奥三河物語

2008年6月30日発行 鈴木冨美夫/監修・執筆

■名古屋今昔写真集

3巻:2008年3月1日発行 林董一/監修

2巻:2007年12月25日発行 林董一/監修

1巻:2007年10月25日発行 林董一/監修

■西尾張今昔写真集

2007年2月28日発行 林董一/監修

■三重県絵はがき集成

2006年12月13日発行 西川洋/監修

■小説 二葉御殿

2006年11月3日発行 西尾典祐/著

■西三河今昔写真集

2006年7月21日発行 新行紀一/監修

■淡路島今昔写真集

2006年2月28日発行 『淡路島今昔写真集』刊行会/監修

■伊賀秘蔵写真帖

2005年12月30日発行 『伊賀秘蔵写真帖』刊行会/監修

■島根県の歴史街道

2006年2月14日発行 池橋達雄/監修

■東三河今昔写真集

2005年7月15日発行 大林淳男/監修

■わが街 ビルヂング物語

2004年12月7日発行 瀬口哲夫/著

■塩の道 旅日記

2004年11月25日発行 柄澤照文/著

大阪市今昔写真集 西南部版

■大阪市今昔写真集 西南部版(監修/石浜紅子 定価9,990円)

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【2009
年(平成21 年)9 月26日 産経新聞−大阪市内版】

戦後の昭和と現在 同じアングルで200景
  戦後から昭和40年代にかけての大阪と現在の大阪を対比できる「大阪市今昔写真集」(第一巻=西南部版)が出版され、話題を呼んでいる。収録されているの は中央区(旧南区)、浪速区、西区、港区、大正区、西成区、住之江区。地元の住民や大阪市史編纂(へんさん)所などの協力で写真を収集した。
 写真集では、同じアングルから撮影した200景の写真が当時と現在を比較でき、街の変遷が分かるようになっている。
  200景のなかには、粟おこしの老舗「二ツ井戸津の清」(旧南区、昭和40年ごろ)、大阪球場(浪速区、昭和38年ごろ)、第2室戸台風直後に災害救援物 資が山積みされた港区役所(港区、昭和36年)などがある。このほか、天神祭の船が行く道頓堀や今宮戎のにぎわい、ままごとをするおかっぱ頭の少女など約 150点の写真で当時をしのぶことができる。
 同書を出版した樹林舎(名古屋市)の山田恭幹編集長は「活気にあふれ、人も町も輝いていた時代の大 阪を思いだしていただけると思います」。監修にあたった「なにわの海の時空館」の石浜紅子館長は「さりげなく手を伸ばせばそこにある個人の目の歴史を、本 書を通し思いだしてもらえたら」と話している。
 B4判、9990円。第2巻「東南部版」、
3巻「北部版」も順次配本の予定。


保存版 知多巡礼紀行

■保存版 知多巡礼紀行(監修/知多四国霊場会 定価9,975円)
 
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【2009 年(平成21 年)7 月30日 毎日新聞】

知多四国霊場会 200年の歩みを出版 信仰者の心、観光も織り交ぜ
 昨年、知多四国霊場開創200年を迎えたのを記念して、知多四国霊場会は200年の歩みをつづった本「保存版 知多巡礼紀行」を出版した。200年史編さん委員会委員長の長谷川実彰・大智院住職は「寺の歴史だけでなく、信仰した人々の心や地域の観光なども織り交ぜて編集した」と話す。本は7章からなり、1〜6章は東知多北部、東知多中部など地域ごとにまとめ、霊場88カ所と開山所3カ所、番外札所7カ所を紹介。写真はフリーライターの内藤昌康氏が担当し、約700枚を掲載した。まちの様子や人々の暮らしぶりが分かる写真をふんだんに取り入れている。寺周辺の地図もある。
 最後の7章は、知多四国霊場の歴史を分かりやすくまとめた。霊場に関する用語集、お参りの仕方やマナーなども記され、巡礼者に便利な本になった。
 また初版限定で「巡礼道地図帳」を別冊付録として付けた。失われつつある江戸時代の「知多四国弘法道」を知多四国こうぽう道保存協力会の利根昭平代表が15年かけて踏査したルートや、道標などを記した。



【2009 年(平成21 年)7 月17日 朝日新聞】

巡礼のお供に充実の手引書
知多四国霊場開創200年を記念札所寺院など出版 歴史、見どころ写真で紹介

 知多半島を中心とした98の札所寺院でつくる知多四国霊場会が、霊場開創200年を記念し「保存版 知多巡礼紀行」(樹林舎)を出版した。各寺院の歴史や見どころなどを写真を交えて解説。資料として充実した内容で、巡礼者にも格好の手引書になる。寺院を所在地で分け、写真家内藤昌康氏の撮影で建物や境内を飾る季節の花などを紹介している。周辺地図とこぼれ話も掲載した。巻末には霊場の歴史解説と年表、関連用語集や寺院一覧を添えた。現在の地図に併記した別冊の「弘法道地図帳」が初版限定で付く。
 開創200年の昨年は、例年を大きく上回る15万人が訪れたという。200年史編さん委員長の長谷川実彰・大智院住職(61)は「地域のおかげで長く霊場が続いてきた。200年は半島の住民と歩んだ歴史」と地元に感謝する。巡礼道を20年以上調査し、別冊用に資料を提供した「知多四国こうぼう道保存協力会」代表の利根昭平さん(79)は「なくなっていく道を記録に残したいと自分用に作った調査メモが、本になるなんて照れくさい」と話す。



【2009 年(平成21 年)7 月15日 朝日新聞】

知多四国霊場に解説書 開創200年記念「巡礼の視点で」
 知多四国霊場の開創200周年を記念し、知多半島の各札所の歴史と巡礼道の風土を解説する書籍「保存版 知多巡礼紀行」(定価9975円、樹林舎発行)が刊行された。同霊場八十八カ所の番号札所などの寺院計98カ所で構成する知多四国霊場会が執筆・監修した。写真700枚を使い、遍路道の風景も紹介した。
 知多市南粕谷本町1丁目の大智院の住職で、同書の編さん委員長を務めた長谷川実彰さん(61)は「地域の人々とともに歴史を刻んできた。寺側の視点ではなく、巡礼者の視点から歴史をひもといた」と話す。巻末に、初心者向けの用語集を収録。本文にも丁寧にふりがなをふった。また、初版1500部限定で、「巡礼道地図帳」を付録につけた。関係者が15年かけて踏査した古道ルートが併記されており、道標や石碑の位置も記した。



【2009 年(平成21 年)7 月15日 読売新聞】

「知多巡礼」魅力1冊に
 知多四国霊場の各札所の歴史などを解説する本「保存版 知多巡礼紀行」が発刊された。知多四国霊場が昨年、開創200周年を迎えたのを記念し、同霊場八十八カ所の番号札所などの寺院98カ所で構成する知多四国霊場会が執筆・監修した。
 本は、200年の歩みをつづりながら、知多半島の風土の魅力などを、700枚の写真を使って紹介。巡礼するときに役立つ用語集も掲載したほか、初版1500部限定で、「知多四国の弘法道」を15年かけて踏査した古道ルートが併記されている実用的な「巡礼道地図帳」が付いている。編さん委員長で、大智院(知多市南粕谷本町)の住職長谷川実彰さん(61)は「この本を読んで、1人でも多くの人が知多四国霊場に興味を持ち、足を運んでくれたら」と話している。



AICHI NAGOYA 新次元・環境創生

■AICHI NAGOYA 新次元・環境創生()

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【環境緑化新聞 2009年8月15日】

環境共生社会を形創る
 本書は、著者である(株)創建、代表取締役社長の筒井氏が2007年から2008年に開催した創建CSRセミナー内容をまとめたものである。第一部では、『環境を基に「この国の形」を創る』をテーマに、流域・山里・都市について筆者の主張・提言が強く語られている。一軒、実現への難解さを感じるが、本書全体を通して、そう遠い話ではないのでは…と共感を覚える。
 第2部では、サスティナブルをキーワードとして、生態系、低炭素社会、都市交通、景観、森林管理、木造建築の伝統、自治体経営など、幅広く商会。専門家及び(株)創建の幹部社員による講演内容と、座談会によるそれぞれの立場からの意見交換は、今後の環境社会の課題解決に向け大きな期待を生む。
 第3部では、環境問題の指導的役割を担う大学教授の取り組みや提言、愛知名古屋での環境への取組みなどが紹介されている。充実した内容に読み応え十分な一冊である。

名古屋情熱時代

■名古屋情熱時代(編集/元名古屋タイムズ編集局スタッフ 定価4,980円)
 
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【2009 年(平成21 年)3 月28日 中日新聞】

昭和20年から30年代の名古屋 貧しくもたくましく
 新聞が発行された記憶を語り継ごうと、昨年10月に62年の歴史を閉じ休刊した名古屋タイムズ(名タイ)の元社員らが、創刊以来の写真を報道写真集にまとめ、「名古屋情熱時代」として出版した。昭和20〜30年代の「街ダネ」を中心に260枚の写真が収められている。
 元社会部デスクの長坂英生さん(51)が、歴史の記録となる資料が散逸するのはしのびないと、会社と交渉し写真ネガなどの所有権を譲り受けた。仲間とともに名古屋タイムズアーカイブス委員会を設立し、4トントラック1杯分にもなる膨大な資料の整理を進めた。東山動物園で戦災を生き延びた象の歓迎を受ける子どもらや店をPRする「サンドイッチマン」など、貧しくもにぎやかな時代の一コマが切り取られている。

岩倉・西春日井今昔写真集

■岩倉・西春日井今昔写真集(監修/林董一 定価9,975円)
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【2009 年(平成21 年)2 月28日 中日新聞】

岩倉と旧西春日井 時代の変遷つづる写真集
清須の郷土史家編集 にぎわう商店街のどかな田園風景

 岩倉市と旧西春日井郡の時代の変遷でつづる「岩倉・西春日井今昔写真集」が名古屋市天白区の樹林舎から発行された。岩倉、清須、北名古屋市と豊山、春日町の3市2町を対象に昭和30〜40年代を中心にした風景や行催事の写真と、現代の写真を対比し、地域の移り変わりを紹介している。
 B4判、148ページで掲載写真は、古い時代が約230点、現代の写真が約150点。テーマ別に分けて、公共施設など地域の象徴的な建物をはじめ歴史ある街道や橋、鉄道駅、にぎわう商店街、のどかな田園風景など地元の人たちに懐かしい光景を伝える写真を数多く載せている。
 江戸時代に清洲城下が名古屋へ移転した清須越、陸軍小牧飛行場として始まった名古屋空港など、地域を大きく変えた出来事や施設をコラムとして織りまぜた。編集に携わった清須市清洲、郷土史家の加藤富久さん(65)は「知らなかった他の地域の以前の姿も分かり、新しい発見も多く、郷土により興味がわく」と魅力を語る。

京都市今昔写真集

■京都市今昔写真集(監修/白幡洋三郎 定価9,990円)
 
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【2008 年(平成20 年)12 月13日 読売新聞地域版】

昭和の京風景再び 市電、商店街…260点写真集に
市制110年記念15日刊行

 京都市の昭和20〜50年代の街の風景約260点などを収めた「京都市今昔写真集」が15日、樹林舎から刊行される。街中を走る市電や活気あふれる商店街、京都タワーが建つ前の京都駅付近の様子など、懐かしい光景がぎっしりと詰まっており、制作の佐々木高史氏(45)は「それぞれに思い入れがある〈昭和の風景〉に必ず出会えるはず」とPRしている。
 収録されている古い写真はいずれもー般の人らからの提供。街の歴史にかかわる出版物を手がける同社が今年、京都市が市制110周年を迎えたのに合わせて企画した。京都府書店商業組合(中京区)も協力し、写真は組合加盟の各書店を通じて5月から募集。−万数千点が集まったうち、白幡洋三郎・国際日本文化研究センター教授(都市文化論)が監修して約260枚を選んだ。紹介する写真はすべて現在の写真(約120枚)とも対比させ、その移り変わりが解説してある。
 昭和35年(1960年)頃に撮影された朱雀二条商店街(同区)の写真では、前掛け姿や買い物かごを抱えた多くの女性らがせわしく行き交い、当時の活気あふれる世相が浮かぶ。また、現在は順路となっていない寺町通を山鉾が巡行する昭和30年代の祇園祭の様子や今は懐かしい百貨店「丸物(マルブツ)」や郵便局の前でレトロな車が並び、牧歌的な雰囲気が漂う京都駅前の風景などもある。



【2009 年(平成21 年)2 月2日 山陰中央新聞】

民衆が見た昭和の風景 「京都市今昔写真集」刊行
 京都の街並みの移り変わりを、過去と現在の写真で比較しながら紹介する「京都今昔写真集」(発行・樹林舎)が刊行された。戦後から高度経済成長期をメーンに、市民から寄せられたスナップを中心に構成、都市化の軌跡とともに、民衆が見た懐かしい昭和の風景を生き生きと伝える。
 深刻な空襲被害を免れた京都は「戦前と戦後の間に都市景観上の断絶がほとんどない」とされるが、マンションなどの出現で愛宕山が見通せなくなった西陣、市電がなくなり一変した市内各所の風景は、近代化の波とともに織物など伝統産業の変化や住民の高齢化も映しだす。
 約350点の写真の中には、買い物かごを提げた前掛け姿の主婦らがせわしなく行き交う商店街の様子、外で元気に遊ぶ子どもたちの姿など、「古き良き昭和」を感じさせるものが数多い。監修した国際日本文化研究センターの白幡洋三郎教授は「千年の都の伝統と変容を写した写真は、われわれ一人ひとりの暮らしがどのように変化してきたのか、その実情を振り返る確かな記録」とつづる。

澤田久夫写真集 奥三河物語

■澤田久夫写真集 奥三河物語(監修・執筆/鈴木冨美夫 定価4,800円)
 
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【2008 年(平成20 年)7 月4日 毎日新聞県内版】

奥三河の昭和の暮らし撮影
懐かしい農村の原風景300点 故澤田さんの写真集出版

 設楽町を中心に、奥三河地方の昭和の暮らしを伝える写真集「奥三河物語」が樹林舎(名古屋市天白区)から出版された。奥三河の郷土史家、澤田久夫さん(1905〜85)が地元で撮影した約300点を集めた。
 昭利10〜40年代の里山の民俗を丹念に撮影し、懐かしい日本の農村の原風景の記録になった。▽自然のめぐみ▽くらしの歳時記▽戦争にゆれる村▽ふるさとの風景▽奥三河の心を訪ねて―の5章で構成。のどかな田舎の農村に戦争が与えた影響を写真で表現した貴重な史料も多い。託児所の紙芝居の写真は、若い男性が兵士にとられてしまったため、農村に残った子供たちやお年寄りだけが写っている。このほかには、防空演習や本土決戦に備えた竹やり訓練、金属供出、出征前の家族との記念撮影、遺族への慰安、兵士の墓地の清掃を終えた小学生、葬儀の様子などの写真がある。戦争へ至る経緯などを、わかりやすい文章で説明している。
 澤田さんは教員を退職後、村史や郡史の編さんなどに携わり、町立奥三河郷土館の建設に尽力した。



【2008 年(平成20 年)6 月27日 朝日新聞】

「奥三河物語」刊行
知郷土史家故澤田久夫さん写真集 昭和の庶民生活を記録

 設楽町など奥三河を拠点に活動した郷土史家の澤田久夫さん(1905〜85)が撮影した、昭和の初期から40年代までの写真を集めた「奥三河物語」が、近く刊行される。農繁期に妹の子守をするお兄ちゃん、紙芝居に群がる子どもたちなど、今では見られなくなった庶民の暮らしを伝える約300点。監修を担当した同町の郷土史家、鈴木冨美夫さん(81)は、「澤田さんの実績を広く伝えたい」と話している。
 澤田さんは北設楽郡名倉村(現在の設楽町)の生まれで、教師として働きながら奥三河を中心とした郷土の研究に携わった。戦後間もなく北設楽郡史の編集作業を通して澤田さんと知り合い、澤田さんが創設に奔走した奥三河郷土館の初代館長となった鈴木さんは、「まじめで一徹な人だった」と振り返り、「カメラを持っている人がほとんどいなかった時代に、変わりゆく人々の生活を記録していたのは素晴らしい。ぜひ後世に残したい」と話す。
 9月末までの購入特典として、澤田さんが自分の子供たちのために描いた絵本の復刻版4冊もセット。結核で子供たちと触れ合うことを禁じられた澤田さんが、「猪之沢の歌」などの奥三河の伝説や民話を丁寧に描いている。



【2008 年(平成20 年)5 月31日 中日新聞】

不自由でも自然と一体の暮らし
奥三河戦前、戦中の姿郷土史家記録写真集出版へ設楽の鈴木さん「貴重な資料残す」

 奥三河地方の戦前、戦中の暮らしぷりを記録した旧名倉村(現設楽町)の郷土史家澤田久夫さん(1905〜85年)の写真をまとめた「奥三河物語」が出版される。6月下旬の予定で現在、同郷の郷土史研究家・鈴木富美夫さん(82)が解説を執筆中。「当時のつつましい生活に思いを寄せてほしい」と話している。
 県内各地の「今昔写真集」を手掛けてきた樹林舎(名古屋市)が出版する。数年前、山田恭幹編集長らが澤田さんの息子夫妻を訪ねて民具や写真に触れ、業績を広く伝えようと写真集を企画。鈴木さんに監修を依頼した。奥三河など10以上の市町村史編さんに携わり、奥三河郷土館長も務めた鈴木さん。「貴重な資料を残したい。最後の仕事だと思った」。本はA4判180ページ。数万点の写真から300枚ほどを選んだ。牛馬耕や養蚕、かるた遊び、路傍の石仏。大根や里芋は斜面に横穴を掘って貯蔵した。習俗や信仰を含め、生活全般をつぶさに伝える。
 戦争の影響にも多くの紙面を割いた。組織的な空襲はなかったが、寺の鐘や、油用に松の根を供出。戦没者は村葬で送った。「貧しさと不自由に耐え、自然と一体になった暮らし。今とは全てが違った時代は、そう遠い昔ではありません」



名古屋今昔写真集

■名古屋今昔写真集 1,2,3巻(監修/林 董一 各巻定価9,800円)
名古屋今昔写真集2 名古屋今昔写真集3  ←商品詳細ページへ 

2007年(平成19年)1129日 朝日新聞】

名古屋の今昔 写真集で
 明治から昭和50年代までの名古屋の街並みや風景を、同じアングルで撮影した現在の写真と対比しながら楽しめる写真集が出版された。昔を懐かしむお年寄りのほか、30、40代にもじわりと売れているという。昭和ブームに加え、身近な風景からタイムスリップできる点も魅力のようだ。
 10月に初巻が出た「名古屋今昔写真集」。B4判の大型本で全3巻からなる。各巻9800円と高価だが、初巻発売の時点で3巻セットの予約が300件にのぼり、この種の本としては異例の出足の良さという。
 初巻は「城下町から近代都市へ」の副題が付き、市中心部の東、北、西、中の4区の約300枚のモノクロの古写真を収録している。
 路面電車が行き交う広小路通や建設中の名古屋テレビ塔など、懐かしい戦後の街並みを見ることができる。また、大正の一時期だけ丸の内に実在した「名古屋国技館」や、西区役所の場所に戦前まであった名鉄電車のターミナル駅など、現在では知らない人も多い風景も収められている。
 出版した樹林舎(名古屋市)は、これまでに三河、尾張、三重など東海地方で同様の今昔写真集を出してきた。官公庁や旧家、写真収集家宅に眠る古い写真を発掘し、持ち主や地元の古老らに取材しながら撮影場所や時期を追跡。特定できたものは同アングルで現在の風景も撮影して記録した。
 編集に当たった山田恭幹さんは、「撮影場所の特定が一番大変だった。面白い写真でも特定できずに不採用となったものは多かった」と作業を振り返る。現在の風景を一緒に写真集に載せたことで、昔を直接知らない世代にも親しみやすくなったようだ、と好調な売れ行きを分析する。
 市南西部、市東部を取り上げる続巻は、それぞれ12月下旬と来年2月の発売を目指している。3巻セットで予約すると明治末から昭和30年までの4枚の市街地地図の複製品が付録につく(数に限りあり)。問い合わせは樹林舎(052・801・3144)へ。

西尾張今昔写真集

■西尾張今昔写真集(監修/林董一 定価9,800円)
 
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【2007 年(平成19 年)2 月23日 中日新聞】

移り変わる習慣や風俗 西尾張今昔 「樹林舎」が来月写真集
 同社はこれまで、東・西三河や兵庫県淡路島などで同様の写真集を発刊している。今回は、専属スタッフ二人が、西尾張地方の古い写真を持っていそうな旧家や写真店などを訪ね歩いて数千枚の写真を収集。このうち古い写真300枚と、それに対比する同じ場所の写真100枚を収録した。編集作業には、各自治体の学芸員が協力した。掲載した中で、稲沢市松下の千代田写真館が所蔵していた写真は、嫁入りを祝う村の習慣を写したもの。青年団の若者が大八車や井戸のポンプなどを持ち寄り農家の正面に飾り立てており、その前で家族写真を撮影している様がほほえましい。昭和20年代初期の写真という。
 また、津島駅から西に天王通りを臨む昭和10年ごろの写真には、行き交う人々がたくさんおり、当時の津島市が、いかににぎわっていたかが分かる。現在の津島駅の写真と対比すると変わりようが一目瞭然だ。
 同社の専属スタッフは、西尾張一円をくまなく歩いたが、海部郡では伊勢湾台風以前の写真をほとんど手に入れることができなかったという。同社は「伊勢湾台風の被害が、いかにひどいものだったかが分かる」としている。
 山田恭幹編集長は「知らない写真をもとに歴史をひもといていくと地域の全体像が見えてくる」と話している。

三重県絵はがき集成

■三重県絵はがき集成(監修/西川洋 定価9,800円)

三重県絵はがき集成−全1巻−

2006年(平成18年)1226日 伊勢新聞−ダイジェスト】

 このほど、明治末期から昭和初期の県内各地を写した写真絵はがき300点を掲載した「三重県絵はがき集成」を限定出版した。

 三重大学文学部の西川洋教授(当時)が監修した。県内を桑名、四日市、鈴鹿・亀山、津、松阪、伊勢、志摩、伊賀、東紀州など地区別に9章に分け、100枚には現在の場所との比較写真も掲載、詳細な解説と、各章ごとに識者の概説を付けた。

 樹林舎によると、写真絵はがきはカメラが高級品だった明治30年代後半、庶民に手の届く小さな美術品としてブームになったという。歴史をひもとく資料として一つにまとめたいと、3年前から準備を進めていたところ、ことし(2006年)初めに東京・神田の古書店で三重県内の写真絵はがき約2,000枚を収めたアルバム3冊が見つかり、それまでに集めた2,000枚と合わせて選び、出版が実現した。

 樹林舎は「写真絵はがきを、当時の風俗や時代が分かる一級の文化財として一冊にした。失った素晴らしい風景を見直し、これからの都市計画や観光を考える素材にしてほしい」と話している。

2007年(平成19年)14日・11日  三重ふるさと新聞−ダイジェスト】

 絵はがきが日本で大流行したのは明治38年(1905)、年間流通4億枚を超え、米国の流通をしのぐ勢いと言われた。それから100年を記念しての企画だが、第1号として三重版が出版されたのは、東京の古書市で、蒐集家により丁寧に分類・保存された3冊の絵はがきが発見されたこと。中には三重県に関する絵はがき2,000枚があった。

 更に、三重県内各地のコレクターの協力をあおぎ、秘蔵の2,000枚を発掘。合わせて4,000枚の中から印刷状態や保存状態もよく、地域の原風景を今に伝えるもの300枚を選んだ。

 また、あとがきの中で、日本の風景保全のために風致地区や名所地区の新設を訴え、明治25年(1892)帝国議会に風景保護の嘆願書を提出した田中善助を取り上げている。善助は巖倉水力発電の創始、伊賀鉄道・朝熊登山鉄道の開発、榊原温泉の再興などに尽力した伊賀上野出身の実業家。果敢な開発者であったが、同時に日本で初めて風景保護を国に訴えた稀有な人物として田中善助を再評価している。

2007年(平成19年)124日 中日新聞三重総合】

○未使用絵はがき2000枚発見

 人でにぎわう伊勢神宮、漁に励む海女たち―。明治時代末期から昭和時代初めにかけての三重県内の風景を写した絵はがき約2,000枚がまとまって見つかった。当時の収集家が丁寧に保管していたものとみられ、入手した出版社「樹林舎」は同じ場所の現在の風景写真や解説などを加え、写真集として出版した。

 絵はがきは、同社長(当時)の岩月正直さん(46=当時)と知り合いの東京・神田の古書店が、個人宅の蔵で他の古い絵はがきとともに発見したという。三重県分の2,000枚はほとんどが未使用で、3冊の分厚いアルバムに整理されていた。

 岩月さんによると、今から100年ほど前、日露戦争(190405)の勝利を機に、国内は絵はがきブームとなった。戦地の状況を撮影したものをはがきに印刷して販売。カメラが高級品でテレビもない時代。官製はがき程度のお金で買える「未知の風景」は人々の間でまたたく間に人気となった。戦後、勝利を手にした兵が帰還し、勇ましく行進する姿を収めた絵はがきは飛ぶように売れたという。

 ブームのピークは大正時代まで続いた。交通インフラが発達し、旅行者が増えたことで各地の祭りや名所を絵はがきにしたものが続々と登場。今回見つかった絵はがきもこうした世相のなかで作られ、収集されたとみられる。

 出版された「今昔写真集 三重県絵はがき集成」には、この2,000枚の中から選んだものに、独自に借りるなどした絵はがきを合わせて計300枚を収録した。隆盛を極める伊勢の旅館、風光明媚な鳥羽湾などの風景のほか、海水浴場で遊ぶ人々や人々が行き来する商店街など生活のにおいを感じさせるものも。

3分の2以上が、いまでは手に入りにくい“レア”な絵はがき。それぞれの場所にまつわる歴史を解説し、現在の写真を並べて比較もした。岩月さんは「100年前の様子を知ることのできる一級レベルの資料では」と話す。

2007年(平成19年)126日 中日新聞愛知総合】

○貴重な絵はがき限定写真集出版 100年前の三重の風景

 ※内容は三重総合版と同じ。

2007年(平成19年)126日 朝日新聞】

○絵はがきの風景、今は―100年前の三重と比較 写真集に

三重の風景や風俗を題材にした明治から昭和初期にかけての絵はがきを集めた「今昔写真集 三重県絵はがき集成」が出版された。絵はがきと同じ風景を撮影し、この100年で身近な風景がどう変わり、また、変わらなかったかを鮮やかに浮かび上がらせた1冊だ。

 船が行き交う桑名城の三之丸外堀、3階建ての旅館の前に人力車が並び繁盛する山田駅周辺、東南海地震で破壊される前の紀北町紀伊長島の名倉港―。明治から昭和初期にかけての三重県内各地の様子を、美しい絵はがきが見せてくれる。

 「絵はがきは貴重な歴史的資料」と、本を出版した「樹林舎」の岩月正直さん(46=当時)は強調する。貴重さが理解されないまま、処分されたり、散逸したりしてしまうのを防ぎたいと、1冊の本にまとめることを思いついた。

 東海3県にかかわる本を出版する岩月さんが手がけた「今昔写真集」は、東三河、西三河に続いてシリーズ3作目。前2作は写真を集めたが、今作は絵はがきで構成した。「三重は観光県。他県では考えられないような量の絵はがきが集まる」ためだ。

 それを裏付けるのが、岩月さんが見つけた大正期の絵はがきコレクションだ。個人宅や郷土資料館などにある絵はがきを少しずつ集めていた時、東京・神田の古書店で手に入れた。明治から大正期までの絵はがき約2,000枚を地域ごと、時系列ごとにまとめた「第1級」の資料だった。日露戦争後に始まった絵はがきブームの中で、大正期の資産家が集めたものらしい。

 「興奮した。さすが三重県と思った」と岩月さん。美しかった四日市や津の町並みは、戦争で破壊された一方、伊勢神宮の風景には変わることのない良さが息づいていた。ページをめくるうち、100年で劇的に変わった風景、変わらない風景を対比しようと、絵はがきと同じ風景を撮影することを思いついた。

 「地元の人に聞いて絵はがきの場所を特定する作業が一番大変だった」と岩月さん。船が行き交った河口は堤防に、高級別荘が並んだ砂浜は道路に、美しい洋風建築はコンクリートのビルに変わっていた。地元の人も絵はがきの風景がどこから撮影されたのか、わからないこともあったという。「家庭でも学校でも、昔の話を聞くことがなくなり、地域の歴史が断絶してしまった」。写真集では、資料にあたったり古老に聞き取り調査したりして、それぞれの絵はがきに短い解説をつけた。「絵はがきの資料としての重要性も伝えたかった」

3年かけて集めた約4,000枚の絵はがきから300枚を厳選し、現在の風景を撮影した写真100枚とともに収めた。

2007年(平成19年)321日 CBCテレビ『イッポウ』】

○同番組のなかの「まじあな」コーナーで約7分間 本書の内容を現地ロケ含めて紹介

西三河今昔写真集

■西三河今昔写真集(監修/新行紀一 定価9,800円)

西三河今昔写真集

2006年(平成18年)722日 中日新聞−ダイジェスト】

 明治以降の西三河地域の変遷を写真で振り返る「西三河今昔写真集」が樹林舎から出版された。行政や企業、個人など西三河全域で2年かけて集めた約3,000点のうち、古里の原風景が際立つ写真を厳選。現在の景色と比べて掲載し、一目で比較できる。過去と現在合わせて約390点を収録している。

 城下町の面影を残す昭和初期の岡崎の二十七曲がり、農業に不向きで飛行場から工場に転用された豊田の台地などが西三河地域の特色という。

 刈谷に住み、「表現主義」と呼ばれるコンクリート建築を数多く設計した大中肇の建物や、西尾で戦前に多く見られた駅舎などのモダンな建物、吉良の製塩業、矢作ダムに沈んだ豊田市の牛地地区など、西三河地方の山間部から海辺までまんべんなく取り上げている。

 同社は昨年(2005年)、東三河で同種の写真集を出版しており、小学校の郷土学習などで活用されているという。

2006年(平成18年)730日 東海愛知新聞−ダイジェスト】

 新旧写真の対比により、ふるさとの思い出、変遷をたどる「西三河今昔写真集」が名古屋の樹林舎から出版された。モノクロ写真380余点で明治末期から現代までを網羅。史誌などを除いた一般書としては95%が未発表のものだという。建物、町並み、看板、乗り物や人々の衣服など、生活文化・風俗の貴重な資料となっている。

 例えば、道幅約10メートルの岡崎・本町通りを練る家康行列(昭和7年ごろ)、伝馬通りの西本陣跡にあった映画館「岡崎東宝」(同25年ごろ)の写真を見ることができる。また、コラム「懐かしの観光地めぐり」では、昭和10年ごろ岡崎城の西、伊賀川堤にムシロを敷いて花見をする風景も。

 監修した新行紀一氏は、「近代日本の生活文化が昭和大合併のころには村にまで及び、地域に個性が見られる」とし、「これらの写真は21世紀の地域の将来像を考える手掛かりになるはず」と序文に書いている。

小説 二葉御殿

小説 二葉御殿(西尾典祐著 定価1,500円)

小説二葉御殿−電力王と天才女優が遺した館−

2006年(平成18年)1126日 朝日新聞−ダイジェスト】

 日本の電力会社の礎を築いた福沢桃介と日本初の女優・川上貞奴。

 「文化のみち二葉館」=名古屋市東区撞木町=の副館長(当時)西尾典祐さん(50=当時)が、大正時代に同館で暮らした桃介と貞奴の半生を描いた小説「二葉御殿」を出版した。資料などに基づき、時代背景や登場人物などを忠実に再現し、「二葉館を知るガイドブックになれば」という。

 「小説 二葉御殿」は、二葉館を訪れる人に桃介と貞奴の関係を聞かれた西尾さんが、「2人を一つに結びつけた資料は少なく、きちんと説明できるものを」と筆を執った。二葉館に、2人に関する資料が残っていたこともあり、これを活用し、2人が生きた時代を丁寧にたどった。伊藤博文や市川左団次、ピカソ、ロダン、福沢諭吉、松永安左衛門など、登場人物も多彩。西尾さんは「波瀾万丈の2人の人生を通して、産業の発展や演劇界の流れなども紹介したかった」と話す。ただし、2人の恋愛感情や心の動きなどは「想像を膨らませて描いた。二葉館について新たな発見ができるかも」という。

2007年新年号 「中部財界」第50巻第1号】

  名古屋城から徳川園にいたる界隈は、明治から大正にかけ実業家や文化人が交流を重ねた地区で、現在ではその拠点となった貿易商井元為三郎旧邸などを中心に「文化のみち」と名づけられ多くの来訪者でにぎわっている。わけても東二葉町にあった旧川上貞奴邸を移設・復元した「二葉館」は、建築の豪華さ、時代に先んじたオール電化施設などの斬新さで際立ち、往年のきらびやかな世情が偲ばれる。

 福沢諭吉の娘婿・福沢桃介は、中部電力や関西電力をはじめ電力業界を育て、電力王の異名をほしいままにした実業家・投資家であった。彼が名古屋を拠点に木曽川の電力開発に乗り出したころ、女優として欧米で名声を博した川上貞奴を愛人として迎えたのが、この屋敷である。そこにいたるまでのふたりの道のりは波瀾万丈であった。本書では壮絶なそれぞれの人生が、数多くの財界人や政治家、文化人などを巻き込んで幅広く展開する。

2006年(平成18年)1227日 中日新聞−ダイジェスト】

 作家で、名古屋市東区撞木町の旧川上貞奴邸「文化のみち二葉館」副館長(当時)の西尾典祐さん(50=当時)が、「小説 二葉御殿」を刊行した。

 日本の女優第一号と言われた川上貞奴と、日本の電力事業に奔走し「電力王」と呼ばれた福沢桃介が1920年から6年間一緒に暮らしたのが二葉御殿。2人の波瀾万丈な人生を並行に追い、出会いや別れ、2人の心のうちに迫った。2人にまつわる登場人物も含め、ドラマチックに描かれる。

 副館長の仕事で資料に当たると、女優の貞奴、事業家の桃介という一面しかないことに気付いた。「もっと人間的な姿を紹介したい」と自ら書くことに。城山三郎さん(故人)が同館に寄贈した資料に桃介のものもあり、生かしたい思いもあったという。

2人が二葉館で過ごしたのは50歳前後で当時では晩年。書き終えて「お互いの人生で、共に幸せだった時期は、この数年だけだったのでは」と感じた。

 「貞奴は芸者、女優、愛人といった単純な見方でしか語られていない。でもむしろ夫だった川上音二郎やパートナーの桃介が仕事面でも助けられていた」。軽視されている貞奴の活躍、強さも描きたかった。日本の電力事業が桃介ら個人によるものだったという史実も知らせたかったという。「2人の生きざまを知って、また二葉館を味わってもらえたら」

2007年(平成19年)31日 中日新聞】

○みんなの本「貞奴と桃介 波乱の人生 西尾典祐さん著」

 一昨年(2005年)、名古屋市東区撞木町に復元された「旧川上貞奴邸」は愛称を「文化のみち二葉館」という。当館副館長(当時)の西尾典祐さんが、女優貞奴と支持者であり愛人だった福沢桃介の波乱に満ちた人生を、政治・経済・文化の世界で活躍した当時の人々の

淡路島今昔写真集

■淡路島今昔写真集(定価11,550円)

淡路島今昔写真集

20051115日 神戸新聞−ダイジェスト】

 大正時代から昭和40年ごろまでの淡路島内の懐かしい風景写真を収録した「淡路島今昔写真集」が、名古屋市の出版社から発刊される。昨年(2004年)の台風23号による水害で多くの家庭でアルバムが水に浸かったことを知った編集者が、「代わりになるものを」と企画。島内の住民グループ「淡路地方史研究会」(武田信一会長=当時)や郷土史家らが写真集めなどに奔走した。

 山田恭幹編集長が今年2月、出張帰りに淡路島に立ち寄った際、阪神・淡路大震災も含めた自然災害で大切にしていた写真を失った家庭が多いと聞いて、同研究会に写真集作りを働きかけた。研究会側も「災害を機に資料保存の機運が高まっている」と快諾した。

 未発表の写真を集めようと、8月から、同社の女性担当者(29=当時)と研究会メンバーら約10人が、知人のつてを頼りに写真が残っている家を訪ねて回った。すると、100人以上の住民が、アルバムや押し入れに眠っていた写真を提供。1985年に廃止された鳴門海峡の連絡船「阿淡汽船」の連絡所(南あわじ市良)▽大勢のにぎわった生穂本通り(淡路市生穂)▽かつて実施されていたコンテスト「島の女王」のパレード(洲本市)など2,000枚が集まった。

伊賀秘蔵写真帖

■伊賀秘蔵写真帖(定価12,600円)

伊賀秘蔵写真帖

2004年(平成16年)1221日 産経新聞−ダイジェスト】

伊賀地方の住民らが提供した370枚の写真が掲載されており、ふるさとの暮らしぶりや出来事などを知ることができる。樹林舎が今年(2004年)1月から準備に入り、伊賀市・名張市に住む200人以上の市民や小学校などから写真の提供を求めた。被写体は多彩で、人々の服装やリヤカーなどの道具類を通じて、その“時代”をうかがわせる構成だ。尾崎紅葉ら文人が芭蕉の故郷塚を訪問したスナップ(明治26年)など、初公開の写真も多い。

樹林舎は「庶民の視点から伊賀の歴史を発掘するのが出版の目的。写真に写っている人を探し出して話を聞くなど、労力をかけてつくった本です」と話している。

2004年(平成16年)1223日 朝日新聞−ダイジェスト】

 明治・大正・昭和の三つの時代にわたる伊賀地域の貴重な写真を集大成した大型写真集「永久保存版・伊賀秘蔵写真帖」が樹林舎から出版された。同社は、全国各地の古写真やアルバムが次々と失われていく現状を憂え、これらの貴重な写真を収集して、地域の文化財として保存・顕彰する運動を展開している。

内容は、伊賀市阿保の初瀬街道、同市上野東町、名張市上本町の商店街などの昔と今の写真を対比した「ふるさとの今昔」で始まり、「遥かなり明治・大正」「戦争の時代を生きて」「昭和戦後という曲がり角」の3部構成。未公開の貴重な古写真が多数掲載される。

戦後では、1955年(昭和30)に「青山町」が誕生するのに向け、町名を決める選定会の会場風景や、戦前に伊賀市緑が丘にあった上野海軍航空基地の跡地の航空写真など、時代の変遷を物語る記録写真も収録されている。

2004年(平成16年)1223日 伊勢新聞−ダイジェスト】

各家庭や学校に保存されていた写真3,000枚の中から370点を掲載。明治中期から昭和後期にかけての伊賀地域の風景や人々の暮らしぶりが、年代順に紹介されている。樹林舎は「豊かな文化を育ててきた伊賀人の表情を再現しようと、庶民の目線で歴史をたどった。郷土の素晴らしさを再認識してほしい」と話している。

2005年(平成17年)116日 中日新聞−ダイジェスト】

昨年(2004年)は、名張市制施行50年、伊賀市誕生と伊賀地域にとって節目の年にあたったことから、樹林舎が企画。地域誌「伊賀百筆」編集長の北出楯夫さんや元伊賀地区文化財委員連絡協議会長の中川甫さんら郷土史に詳しい地元の11人も編集に協力した。

写っているものは多彩で、明治20年代に東柘植村(現伊賀市柘植町)周辺で進む関西鉄道(現JR関西線)の線路敷設工事の様子、昭和初期に名張市内で出征前に家族と記念写真に納まる若者、昭和30年代、白黒テレビを囲む家族…など、その写真もそれぞれの時代性をうかがわせてくれる。

島根県の歴史街道

■島根県の歴史街道(監修/池橋達雄 定価11,550円)

島根県の歴史街道

2006226日 情報誌「りびえ〜る」】

 監修の池橋達雄氏(簸川郡斐川町在住、島根県史学会会長)が半生をかけて島根県内をくまなく調査してきた労作。江戸時代までに島根県内で整備された陸路と航路18ルート総延長2,000km500点の写真、図版で詳しく紹介。現在(20062月時点)注目を集める石見銀山街道編では「版築(はんちく)技法によって突き固められ、まるで現代のアスファルトのように舗装されていた」など街道の秘密や謎を解きあかしている。

2006年(平成18年)33日 朝日新聞−ダイジェスト】

 多くの旅人が行き交い、様々な歴史を刻んだ島根県内の近世の街道を紹介した「定本 島根県の歴史街道」が出版された。地図や写真、エピソードなどで、ルートや道にまつわる物語をわかりやすく説明。出版元は「歴史を楽しみながらルートを歩き、健康づくりや地域を知るきっかけになれば」という。

 「山陰道と上方街道」「銀山と中通りの道」など、島根県内の歴史街道を7章構成で紹介。1つの街道をいくつかの区間に分け、見どころや伝承などを見開き2ページで読み切れるように編集した。「塩見縄手と松江城周辺」「戦国ロマンの里・広瀬」など要所ごとの「町並み案内」のコーナーもある。

 島根県教育委員会の「歴史の道調査報告書」(9500年)づくりに携わった島根県史学会の池橋達雄会長らが昨年(2005年)3月から約半年間かけて、延べ約2,000キロを再調査してまとめた。江戸時代の銀山街道のうち美郷町に残る「やましお道」では、重い銀を牛馬で運ぶため、砂や粘土を日本海の海水でたたきしめて造られたなど、興味深いエピソードが数多く盛り込まれている。

2006年(平成18年)324日 毎日新聞−ダイジェスト】

 銀山街道、松江杵築往還など、海路を含む島根県内の20街道を豊富な図版とともに紹介する「定本 島根県の歴史街道」が樹林舎から出版された。

 江戸時代までに整備され、県内に残る街道の現在の姿を中心に7章で構成。海路の隠岐航路なども紹介するほか、街道をめぐる逸話やコラムも掲載している。

 監修の池橋達雄さんらは昨年(2005年)3月から9月までの毎月数日間、実際に街道を歩いて調査を進めた。山間部にある街道では、熊よけの鈴を鳴らし、竹をかきわけながらの調査となったという。道は人の行き来だけでなく、物や文化も交錯する場。「道」を中心に据えたふるさとの歴史を楽しむことができる。

わが街 ビルヂング物語

わが街 ビルヂング物語(文/瀬口哲夫・写真/松谷常弘 定価1,680円)

わが街ビルヂング物語

2004年(平成16年)122日 朝日新聞−ダイジェスト】

 名古屋市立大学芸術工学部長の瀬口哲夫さん(59=当時)が本紙学芸面で56回にわたり連載した「街の記憶」が、単行本「わが街 ビルヂング物語」になった。愛知、岐阜、三重の東海3県に残る戦前の鉄筋コンクリート建築に刻まれた歴史を、柔らかな筆致で掘り起こした。「建物は街の歴史を知るためのランドマーク。目にして過去に思いをはせれば、心が豊かになれる」と瀬口さんは話している。

 「街の記憶」は、031月から043月まで連載された。原則として1回に一つの建物を選び、写真と併せて紹介した。

 舟木一夫らが出演した映画「高校三年生」のロケ地になった滝学園(江南市)、司馬遼太郎が「みごとな普請」と記した温泉旅館「湯之島館」(岐阜県下呂市)、皇族の伊勢神宮参拝時に玄関口となる近鉄宇治山田駅(三重県伊勢市)をはじめ、多様な建物がエピソードとともにつづられている。

 「本にまとめると、歴史は物語だと改めて感じます」と瀬口さん。単行本化にあたり、幅広く活用してもらおうと、連載にはなかった地図や設計図も盛り込んだ。連載で外観を使った建物には内部の写真を加えるなどして、建物を立体的に感じられるよう工夫もした。

表紙の活字や色合いもレトロな雰囲気だ。

 建築学を学び、大学で都市計画を教える瀬口さんが、東海地方の近代建築を調べ始めて30年近くたつ。この間、姿を消した建物も多い。連載で取り上げた建物も、UFJ銀行名古屋ビル別館のように解体中のものや、解体予定のものもある。

 「古い建物のある空間は落ち着くし、目にして歴史に思いをはせれば心が豊かになれる」と瀬口さん。「建物を使い続ける欧州に比べ、日本は、建物が作り出す文化の厚みを軽視しすぎではないか」と話している。

【防水ジャーナル 20051月号】

 本書は、東海地方に戦前から残るコンクリート建築を58棟選び、貴重な写真、図版を交

えて紹介する。よくある建築物紹介のように、単なる資料に留まらず、解説からはここに収められている建物すべての街の記憶が物語として伝わってくる。また、紹介されている建物以外にも、建物の周辺情報が囲みで紹介されるなど、竣工当時の街の雰囲気とこれまでの歴史を味わうことができる。巻末には、美しくなっていく名古屋の街づくりの歴史と秘密を明らかにする図説も併載。資料編では、東海地方に現存するコンクリート建築をもうらする写真入り一覧表も掲載されている。

東三河今昔写真集

■東三河今昔写真集(監修/大林淳男 定価11,550円)

東三河今昔写真集

2005年(平成17年)64日 東愛知新聞−ダイジェスト】

明治から昭和40年代にかけて撮影された未発表の写真350点が掲載され、「時代の変遷をわかりやすく」と90カ所については、過去と現在を対比させた。写真はすべて「足を棒にして」(樹林舎)集めた。豊橋、豊川、蒲郡はもちろん、南は渥美町(現田原市)から北は富山村(現豊根村)まで行脚を繰り返し、旧家を中心に探し回った。

純粋な風景・建物写真だけでなく、「豊橋まつりのパレード」(豊橋市広小路通・昭和31年)、「出征兵士の見送り」(北設楽郡東栄町・昭和初期)など、庶民の娯楽や時代を象徴する写真なども多数掲載する。今回、特に力を入れたのは、昔の写真と同じ場所で撮影して対比させ、時代の移り変わりを一目で分かるようにしたことだという。

2005年(平成17年)65日 朝日新聞−ダイジェスト】

 東三河地方の今と昔の移り変わりを載せた「東三河今昔写真集」が、名古屋市の樹林舎から発刊される。写真は、同社のスタッフが富山村(現豊根村)から渥美町(現田原市)まで東三河の旧家などを回り、3,000枚を収集し、その中から約370枚に厳選して出版。

 昭和初期のモダンな豊川駅、設楽町の小学校であった出征前の徴兵検査など、建物やその時代の風物詩、雰囲気など、「忘れられてはならない貴重な過去」(樹林舎)を現在と併せて紹介する。

2005年(平成17年)614日 東日新聞−ダイジェスト】

 東海地方を中心に、地域の写真資料を発掘・出版している樹林舎は、東三河地域全域で古写真を収集し、戦後60周年の節目を機に本書を発行。主な内容は�記憶に残る町並み逍遥�町や村のランドマーク移り変わり�思い出の駅と鉄道をたずねて�くらしの風景点描�オルガンの音が聞こえる学び舎で、など。

2005年(平成17年)725日 東日新聞−ダイジェスト】

 古い写真は家庭から次々となくなり、歴史的に重要なものまで散逸してしまうが、保存しておけば貴重な郷土資料となると、収集した写真の中から370点を選び、昔の風景と同じアングルから撮影した現況と対比して掲載。地元の教諭などが編集・執筆に当たって解説するなど、身近な歴史書としている。樹林舎は「イメージ通りに完成した。今年(2005年)の夏休みは、この本をもとに、子供と親、祖父母などが世代交流してほしい」と話していた。

2005年(平成17年)726日 中日新聞−ダイジェスト】

 明治末期から昭和40年代までの東三河地域の街並みや人々の暮らしの写真を集めた「東三河今昔写真集」が発売された。地域住民らが所有する貴重な写真と、同じ場所で新たに撮影した写真を並べ、移り変わりが分かるようにした。樹林舎は「年配の人が懐かしむだけでなく、若い人が地域に関心を持ってもらう材料になれば」と話している。

集めた約3,000枚の中から厳選して紹介。このうち7割は一般の人が所有していた写真だという。苦労したのは、写真の年代や場所を特定すること。写真の所有者や撮影場所と思われる地域のお年寄りら300人以上に話を聞き、場所と年代を調べた。樹林舎は「地域の人たちに助けてもらってできあがった。古い写真はいわば家庭に眠っている文化財で大切に保管してほしい」と話している。

塩の道 旅日記

報道と書評について

塩の道 旅日記(画・文/柄澤照文 定価1,680円)

塩の道旅日記

2004年(平成16年)121日 読売新聞】

20年かけて描きためた飯田街道の風景を、岡崎市のペン画家柄澤照文さん(55)が、「塩の道 旅日記」にまとめ、樹林舎(名古屋市天白区)から出版した。

飯田街道は、かつて三河湾で取れた塩を信州まで馬の背に乗せて運んだことから「塩の道」とも言われる。柄澤さんは、1984年春から今年(2004年)春にかけて、街道に残る古い商家や民家のほか、建物の屋上から鳥瞰した岡崎市や足助町(現豊田市)のパノラマ風景など約百景を描き続けた。0.2ミリのペンで描いたスケッチは細密そのもので、そのうち87景を選び、エッセーが添えられている。

道端で写生していると話しかけてくる地元の人もいて、柄澤さんは「会話する声や風の音などに、“耳を立てて”描きました。これからも、街道の歴史を丹念に掘り下げたい」と話している。

2004年(平成16年)124日 中日新聞】

 「まず座り、そして黙る。そうしたら、描きたいものが見えてきます」。

 岡崎市中岡崎町、ペン画家柄澤照文さん(55)が、20年かけて描きためた作品をまとめた「塩の道 旅日記」を出版した。腰を落ち着け、細かい線描で景色をとらえた独特のタッチが温かい。

 1980年ごろから地名や歴史などについて調べ始めたのをきっかけに、かつての「塩の道」に興味を持った。三河湾から足助を通り信州までの街道を、軽トラックで40日かけてスケッチして回り、その後も三河湾沿いの塩田のあった場所、岡崎市や足助町(現豊田市)の町並みなど「塩の道」沿いの現在の姿を描き続けてきた。

 景色をあるがままに、細いペンで丁寧に描いていく。「何時間もじっとしているから、動いているもの、変化していくものがよく見える。じっと静かにして耳を澄ませていれば、周りを通る人の声や物音がよく聞こえる」

 画集には約90点の絵とともに、出会った人々との会話やその時感じたことなどを添えた。柄澤さんは「私の絵はたくさんの人たちとの出会いがなければ描けなかった。これからも、そこに長時間居座ったからこそ見える景色を描き続けていきたい」と話している。

2004年(平成16年)1219日 朝日新聞】

 三河地方を縦断して長野県へ続く飯田街道。昔は海から山へ塩を運んだ「塩の道」と呼ばれた。岡崎市中岡崎町のペン画家柄澤照文さん(55)が、この街道の風景や人々の暮らしを20年かけて描いた「塩の道 旅日記」を出版した。時代とともに変化した風景を素朴なタッチで描いた。柄澤さんは「出会った人とのふれあいや感じたことを絵日記風にまとめた」という。

 高校時代に油絵を始めた柄澤さんは29歳の時、地元で手作りのミニコミ誌を発行。挿絵として、身近な街並みを描き始めた。それをきっかけに、ペン画家としてデビュー。全国各地をスケッチ旅行して、江戸時代の先人の足跡や古い街並み、農山村風景を描き続けている。「塩の道」もその一つ。江戸・明治・大正・昭和にわたって、三河湾でとれた塩を山国へ運んだ街道に焦点を当て、絵で人々の暮らしの変遷を伝えようと考えた。

 旅の始まりは84年秋。軽トラックの荷台に幌をかけ、布団や着替え、自炊道具などを積み込んで、三河湾沿岸から長野県飯田市までのルートをたどった。普段なら、車で4時間もあれば行けるところを40日余りかけて2往復した。最初は古い商家や民家が残る宿場だった街を中心に写生し、次は地元の郷土史家らの協力を得て旧道を探索し、出会った人たちに声をかけながら歩いた。路上に座り込んでスケッチしていると、近所のお年寄りや子どもが集まってくることも。昔の町の様子や言い伝え、思い出話を描き、描く風景を決めた。その後も足助町(現豊田市)や岡崎市の写生を続け、今年(2004年)7月に飯田市のスケッチを終えるまで、思いつくままに取材と写生を繰り返した。

 はじめの旅から20年たち、最初のころに描いた建物や風景も少しずつ変化した。かつての塩田は田んぼになり、現在はごみ処理場へと変わった。「塩の道の原風景は急速に消えつつあることを感じる」と柄澤さん。

 0.2ミリの黒いペンで描いた細密な絵は繊細そのもの。止まっている車や洗濯物、屋根瓦11枚も丁寧に描く。約100枚描いた絵の中から、本には87枚を掲載。土地で出会った人や思い出、印象などを短い文章で書き添えた。柄澤さんは「11枚に思い出が詰まっている。目の前の風景だけでなく、暮らしの中の音や生活のにおいみたいなものも描きたかった。これからもスケッチの旅は続けたい」と話す。

2005年(平成17年)43日 南信州新聞−ダイジェスト】

・出版ジャーナリスト塩澤実信氏の寄稿文から

 私の生まれ育った伊那谷の飯田は、太平洋側からもたらされた南塩と、日本海から運ばれた北塩によって岨道(そばみち)が引かれ、その小径を踏み固めたのが、中馬(ちゅうま)と呼ぶ馬の背に塩を載せて運んだ馬方たちの足だった。この飯田へ至る太平洋側の塩の道を、20年かけて街道の風物や暮らしまでを含めて克明にスケッチしたペン画家がいる。愛知県生まれの柄澤照文で、その労作が『塩の道 旅日記』にまとめられた。

 中馬が通ったこの道筋は、私の瞼の裏に焼き付けられていて、上京前に観察している風景だが、柄澤照文の一木一草、路傍の小石も丹念にスケッチしたペン画は、ネガティブだった画像をポジティブに反転させ、60年の時空を一瞬にして埋めてしまったのである。

(中略)山の民にとっては、塩の道は死活につながっていた。その失われつつある風景を、80余景の画文で辿るよろこびがここに可能になったわけである。ぜひ、ご一読を願いたい。

2005年(平成17年)10月 季刊「西三河の歴史・文化情報誌 みどり」2005年秋号】

・フラメンコダンサー稲葉晶子氏の柄澤照文氏へのインタビューで本書が話題に。

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