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三重県絵はがき集成

■三重県絵はがき集成(監修/西川洋 定価9,800円)

三重県絵はがき集成-全1巻-

2006年(平成18年)1226日 伊勢新聞-ダイジェスト】

 このほど、明治末期から昭和初期の県内各地を写した写真絵はがき300点を掲載した「三重県絵はがき集成」を限定出版した。

 三重大学文学部の西川洋教授(当時)が監修した。県内を桑名、四日市、鈴鹿・亀山、津、松阪、伊勢、志摩、伊賀、東紀州など地区別に9章に分け、100枚には現在の場所との比較写真も掲載、詳細な解説と、各章ごとに識者の概説を付けた。

 樹林舎によると、写真絵はがきはカメラが高級品だった明治30年代後半、庶民に手の届く小さな美術品としてブームになったという。歴史をひもとく資料として一つにまとめたいと、3年前から準備を進めていたところ、ことし(2006年)初めに東京・神田の古書店で三重県内の写真絵はがき約2,000枚を収めたアルバム3冊が見つかり、それまでに集めた2,000枚と合わせて選び、出版が実現した。

 樹林舎は「写真絵はがきを、当時の風俗や時代が分かる一級の文化財として一冊にした。失った素晴らしい風景を見直し、これからの都市計画や観光を考える素材にしてほしい」と話している。

2007年(平成19年)14日・11日  三重ふるさと新聞-ダイジェスト】

 絵はがきが日本で大流行したのは明治38年(1905)、年間流通4億枚を超え、米国の流通をしのぐ勢いと言われた。それから100年を記念しての企画だが、第1号として三重版が出版されたのは、東京の古書市で、蒐集家により丁寧に分類・保存された3冊の絵はがきが発見されたこと。中には三重県に関する絵はがき2,000枚があった。

 更に、三重県内各地のコレクターの協力をあおぎ、秘蔵の2,000枚を発掘。合わせて4,000枚の中から印刷状態や保存状態もよく、地域の原風景を今に伝えるもの300枚を選んだ。

 また、あとがきの中で、日本の風景保全のために風致地区や名所地区の新設を訴え、明治25年(1892)帝国議会に風景保護の嘆願書を提出した田中善助を取り上げている。善助は巖倉水力発電の創始、伊賀鉄道・朝熊登山鉄道の開発、榊原温泉の再興などに尽力した伊賀上野出身の実業家。果敢な開発者であったが、同時に日本で初めて風景保護を国に訴えた稀有な人物として田中善助を再評価している。

2007年(平成19年)124日 中日新聞三重総合】

○未使用絵はがき2000枚発見

 人でにぎわう伊勢神宮、漁に励む海女たち―。明治時代末期から昭和時代初めにかけての三重県内の風景を写した絵はがき約2,000枚がまとまって見つかった。当時の収集家が丁寧に保管していたものとみられ、入手した出版社「樹林舎」は同じ場所の現在の風景写真や解説などを加え、写真集として出版した。

 絵はがきは、同社長(当時)の岩月正直さん(46=当時)と知り合いの東京・神田の古書店が、個人宅の蔵で他の古い絵はがきとともに発見したという。三重県分の2,000枚はほとんどが未使用で、3冊の分厚いアルバムに整理されていた。

 岩月さんによると、今から100年ほど前、日露戦争(190405)の勝利を機に、国内は絵はがきブームとなった。戦地の状況を撮影したものをはがきに印刷して販売。カメラが高級品でテレビもない時代。官製はがき程度のお金で買える「未知の風景」は人々の間でまたたく間に人気となった。戦後、勝利を手にした兵が帰還し、勇ましく行進する姿を収めた絵はがきは飛ぶように売れたという。

 ブームのピークは大正時代まで続いた。交通インフラが発達し、旅行者が増えたことで各地の祭りや名所を絵はがきにしたものが続々と登場。今回見つかった絵はがきもこうした世相のなかで作られ、収集されたとみられる。

 出版された「今昔写真集 三重県絵はがき集成」には、この2,000枚の中から選んだものに、独自に借りるなどした絵はがきを合わせて計300枚を収録した。隆盛を極める伊勢の旅館、風光明媚な鳥羽湾などの風景のほか、海水浴場で遊ぶ人々や人々が行き来する商店街など生活のにおいを感じさせるものも。

3分の2以上が、いまでは手に入りにくい“レア”な絵はがき。それぞれの場所にまつわる歴史を解説し、現在の写真を並べて比較もした。岩月さんは「100年前の様子を知ることのできる一級レベルの資料では」と話す。

2007年(平成19年)126日 中日新聞愛知総合】

○貴重な絵はがき限定写真集出版 100年前の三重の風景

 ※内容は三重総合版と同じ。

2007年(平成19年)126日 朝日新聞】

○絵はがきの風景、今は―100年前の三重と比較 写真集に

三重の風景や風俗を題材にした明治から昭和初期にかけての絵はがきを集めた「今昔写真集 三重県絵はがき集成」が出版された。絵はがきと同じ風景を撮影し、この100年で身近な風景がどう変わり、また、変わらなかったかを鮮やかに浮かび上がらせた1冊だ。

 船が行き交う桑名城の三之丸外堀、3階建ての旅館の前に人力車が並び繁盛する山田駅周辺、東南海地震で破壊される前の紀北町紀伊長島の名倉港―。明治から昭和初期にかけての三重県内各地の様子を、美しい絵はがきが見せてくれる。

 「絵はがきは貴重な歴史的資料」と、本を出版した「樹林舎」の岩月正直さん(46=当時)は強調する。貴重さが理解されないまま、処分されたり、散逸したりしてしまうのを防ぎたいと、1冊の本にまとめることを思いついた。

 東海3県にかかわる本を出版する岩月さんが手がけた「今昔写真集」は、東三河、西三河に続いてシリーズ3作目。前2作は写真を集めたが、今作は絵はがきで構成した。「三重は観光県。他県では考えられないような量の絵はがきが集まる」ためだ。

 それを裏付けるのが、岩月さんが見つけた大正期の絵はがきコレクションだ。個人宅や郷土資料館などにある絵はがきを少しずつ集めていた時、東京・神田の古書店で手に入れた。明治から大正期までの絵はがき約2,000枚を地域ごと、時系列ごとにまとめた「第1級」の資料だった。日露戦争後に始まった絵はがきブームの中で、大正期の資産家が集めたものらしい。

 「興奮した。さすが三重県と思った」と岩月さん。美しかった四日市や津の町並みは、戦争で破壊された一方、伊勢神宮の風景には変わることのない良さが息づいていた。ページをめくるうち、100年で劇的に変わった風景、変わらない風景を対比しようと、絵はがきと同じ風景を撮影することを思いついた。

 「地元の人に聞いて絵はがきの場所を特定する作業が一番大変だった」と岩月さん。船が行き交った河口は堤防に、高級別荘が並んだ砂浜は道路に、美しい洋風建築はコンクリートのビルに変わっていた。地元の人も絵はがきの風景がどこから撮影されたのか、わからないこともあったという。「家庭でも学校でも、昔の話を聞くことがなくなり、地域の歴史が断絶してしまった」。写真集では、資料にあたったり古老に聞き取り調査したりして、それぞれの絵はがきに短い解説をつけた。「絵はがきの資料としての重要性も伝えたかった」

3年かけて集めた約4,000枚の絵はがきから300枚を厳選し、現在の風景を撮影した写真100枚とともに収めた。

2007年(平成19年)321日 CBCテレビ『イッポウ』】

○同番組のなかの「まじあな」コーナーで約7分間 本書の内容を現地ロケ含めて紹介

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