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報道と書評 2010年以降 目次

■大須レトロ

2010年9月30日発刊 名古屋タイムズ・アーカイブ委員会編

■神戸市今昔写真集

2010年6月18日発刊 監修=田辺 眞人(園田学園女子大学名誉教授)

■名古屋城再建 -鉄筋の城に託した希望-

2010年4月26日発刊 編/ 名古屋タイムズ・アーカイブ委員会

■地籍図で探る古墳の姿(尾張編)

2010年3月発行 著者/伊藤秋男

■猿まわしの系図

2010年3月発行 著者/飯田道夫

大須レトロ

■大須レトロ



【大須経済新聞2010年12月第20号】
大須の気になる「この人」「あの店」その18

 名古屋タイムズ(1946年5月創刊、2008年10月休刊)が残した膨大な写真、記事を紹介するプロジェクト「名タイ昭和文庫」シリーズ第2弾で、昭和20年代~30年代に名タイが報道した大須の記事、写真を掲載。終戦後に復興していく大須の姿を振り返る。記憶に残る昭和の街並み、懐かしい映画館、レトロな大須が満載だ。


【読売新聞2010年12月12日(日)「本を読もう」】
「大須レトロ」名古屋タイムズ・アーカイブス委員会編
庶民生活生き生き描写

 2008年に休刊した夕刊紙「名古屋タイムズ」(通称・名タイ)の写真や記事を書籍かしたシリーズの第2弾。昭和20~30年代を中心に戦後、大須が復興していく姿を約150点の写真で振り返る。
 パソコン店や古着屋、飲食店などが混在し、老若男女が集う大須は、江戸時代から遊郭や芝居小屋が並ぶ大衆文化の発信地だった。庶民派の新聞として終戦翌年に創刊した名タイは、1963年(昭和38年)まで近くに本社を置いた。昭和30年代には14もあった映画館のにぎわいや観音様の豆まき、商店街の師走商戦――。庶民の生活を生き生きと描写した記事や写真の数々は、生まれるべくして生まれた。
 本作からシリーズの編集を担当する樹林舎の野村明紘さん(28)は愛知県出身。「大須にはよく出掛けていたが、昔の活気をしって驚いた」と話す。大須商店街連盟の小野章雄会長は本書のインタビューで「ごった煮」こそ大須の魅力と語っている。味わいこそ異なれ、それは昔も今も変わらない。(井沢夏穂)


【中日新聞2010年11月11日(木)夕刊「みんなの本」】
名タイ昭和文庫②「大須レトロ」

戦後復興期中心に―名古屋タイムズ・アーカイブス委員会編

 四百年前の門前市をルーツとする名古屋市の大須かいわい。現在は古着屋やテークアウトできる飲食店が軒を連ね、若者文化を発信する新しさと、心和む古き良き昭和の薫りが溶け合い、世代を超えて多くの人が訪れる街となっている。
 本書は、二年前に休刊した夕刊紙「名古屋タイムズ」の紙面と、百五十枚の秘蔵写真を通して戦後の復興期から昭和三十年代までを中心に大須の姿を紹介する。
 正月を控えて繁盛するかつら家、納涼お化け市と銘打った夏の大売り出しなど、庶民派をうたった同紙ならではの記事が、大須の「ごった煮の魅力」「下町情緒」を余すところなく伝える。また、写真に写る人々の服装や商店街の看板から時代が読み取れる。

神戸市今昔写真集

■神戸市今昔写真集(税込9,990円)

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【2010年10月10日(日)神戸新聞】
原風景探る貴重資料 輝かしい昭和再現 

 戦争や大災害が起きると、多くの人命とともに慣れ親しんだ街の風景も失われることが多い。これに人為的な開発や取り壊しを含めると、街は常に変化し続けているともいえる。

 その中で過去を振り返ってみようとする時、人の記憶ほど曖昧で頼りないものはない。しかし、そこに写真という映像資料が加わればかなりの客観性をもって当時を再現することができる。

 この本は、その写真で過去の神戸を再現し、現在の街の姿と比較し思索するという構造になっている。資料として扱われる時代は戦後の昭和20年過ぎから40年あたりまで。このころは昭和という時代が一番輝いた時代だった。

 新開発の松竹劇場や聚楽館は多くの観客を集めていたし、元町商店街の西口には三越デパートが威容を誇っていた。街には市電が走り、湊川公園には神戸タワーがあり、摩耶山には焼失前の旧天上寺があった。

 このころの街の写真を眺めると、貧しさが残っているものの高度成長期の躍動感も伝わってくる。以後神戸は沿岸部を埋め立てて人工島をつくり、市電を廃止し近代化路線をつき歩んでいく。この本の監修者でもある田辺眞人氏はこう述べる。「私は昭和四十五年~平成に入るまでの約二十年間が、日本の生活文化の歴史にとって五百年ぶりの断絶期だと考えている」

 500年前にも日本の生活文化が大きく変わる時期があった。室町時代中期にはじまり広がった和服や和食、書院造りの建築がそれにあたる。これらの文化が、今度は昭和45年以降の20年間で断絶してしまったと。

 昭和30年代にはまだ残っていた日本人の原風景。その一端を探ろうとするこの本は貴重な映像資料になっている。ただ本書の価格が庶民の手の届くものになっていないのは残念。庶民の残した映像資料が、もっと手に取りやすい形でも出版されることを願っている。

(永田 写真家)

名古屋城再建 -鉄筋の城に託した希望-

■名古屋城再建 -鉄筋の城に託した希望-(編/名古屋タイムズ・アーカイブ委員会 税込1,680円)

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【2010年8月19日 中日新聞「みんなの本」】
当時の記事基に構成―名古屋タイムズ・アーカイブ委員会編
 一六一二(慶長十七)年に、家康の命を受けて名古屋城は歓声した。しかし空襲で焼失。一九五七(昭和三十二)年に再建が始まり、二年後、現在の鉄筋コンクリート造りの城ができた。本書は名古屋タイムズ・アーカイブス委員会が、再建の道を写真と当時の連載記事をもとに構成した。

 お堀で教練する工兵大隊の姿や、空襲後の焼け野原。再建のため十円献金をする市民。八千トンある天主を支える土台の建築や、大阪造幣局で作られたシャチが京都を経て名古屋市内をパレードする風景など、どれも興味が尽きない。

 当時の市長が対談で「観光名古屋の誘引力に」「投資事業だがうんと文化的に」などと語っている。名古屋城がいかに切望された存在かがうかがわれる。

【2010年7月22日 中日新聞「本を読もう」

名タイ記事で振り返る

 終戦の直前に空襲で焼失し、鉄筋コンクリート造りで復元された名古屋城。その過程を、夕刊紙「名古屋タイムズ」(2008年10月休刊)の連載記事「名城再建日誌」を中心に振り返った。

 連載は着工直後の1957年8月から刊行までの約2年間、10日に1度、多彩なアングルの写真とともに、難工事の過程を詳細に伝えている。写真を担当した水野貞義さん(76)は「工事の進捗をいかに分かりやすく伝えるか腐心した。ヘリコプターもなかったから、地上70メートルの工事用タワーにも上った」というから、記者魂に頭が下がる。大阪造幣局で作られた金のしゃちほこが市内を誇らしげにパレードする様子も紹介され、当時の人々の名古屋城に抱いた特別な思いが伝わってくる。

 「名タイ昭和文庫シリーズ」第1弾と銘打っており、元同紙記者でアーカイブス委員会の長坂英生さん(52)によると、今後、大須や栄をテーマにシリーズを出版予定という。次作にも期待したい。

(井沢夏穂)

【2010年7月22日(木)読売新聞朝刊】
本を読もう 新刊とうかい
名古屋城再建―鉄筋の域に託した希望―名古屋タイムズ・アーカイブ委員会編
 終戦の直前に空襲で焼失し、鉄筋コンクリート造りで復元された名古屋城。その過程を、夕刊紙「名古屋タイムズ」(2008年10月休刊)の連載記事「名城再建日誌」を中心に振り返った。
 連載は着工直後の1957年8月から完工までの約2年間、10日に1度、多彩なアングルの写真とともに、難工事の過程を詳細に伝えている。写真を担当した水野貞義さん(76)は「工事の進捗をいかにわかりやすく伝えるか腐心した。ヘリコプターもなかったから、地上70メートルの工事用タワーにも上った」というから、記者魂に頭が下がる。大阪造幣局で造られた金のしゃちほこが市内を誇らしげにパレードする様子も紹介され、当時の人々の名古屋城に抱いた特別な思いが伝わってくる。
 「名タイ昭和文庫シリーズ」第1弾と銘打っており、元同紙記者でアーカイブス委員会の長坂英生さん(52)によると、今後、大須や栄をテーマにシリーズを出版予定という。次作にも期待したい。(井沢夏穂)


【2010年5月22日 タウンニュースてんぱく】
話題!「名古屋城再建」井口の「樹林舎」が刊行
 名古屋開府400年の今年。関連本が書店の棚をにぎわす中、話題になっているのが井口の出版社「樹林舎」刊行の名タイ昭和文庫シリーズ①『名古屋城再建―鉄筋の城に託した希望―』です。
 休刊した「名古屋タイムズ」の連載記事をもとに、昭和32年に始まる名古屋城再建工事の一部始終を約150枚の写真と記事で紹介したもので、近代築城のまさに実録。ほかに類を見ません。
 当時”鉄筋”での再建には賛否両論あったといいますが、名古屋城の復活は戦災による焼失以来の悲願。刻々と進む工事に市民は胸を躍らせ、よみがえった頑強な姿は復興と平和のシンボルともなりました。同書はそんな街の息吹も伝えます。
 「市民の熱望と工事関係者の意気込み、そしてその機運をとらえた名古屋タイムズの気概が生んだ貴重な名古屋史です」とは編集者の水野真吾さん。
 戦前の名古屋城や”金シャチパレード”の様子なども収録した”名古屋人”必読の一冊です。


【2010年5月11日 朝日新聞朝刊(地域総合)】
名古屋城再建過程 夕刊紙まとめ刊行
 空襲で焼失した名古屋城は戦後、鉄筋コンクリート建築で再建された。その過程を追った夕刊紙「名古屋タイムズ」紙(2008年休刊)の記事と写真をまとめた「名古屋城再建」が刊行された。
 工事が始まったのは1957年6月。名古屋タイムズは同年8月から「名城再建日誌」を連載。完工式直前の59年9月まで75回にわたって掲載した。この連載に再建後の話題なども加えて「名古屋のシンボル」再建の動きをまとめている。
 鉄骨が組み上がっていく過程を記録した写真は「戦後復興」を仰ぎ見る視線を感じさせ、金シャチが天守に設置されるまでの詳報ぶりには、市民の名古屋城への愛着がにじむ。
 編集にあたったのは「名古屋タイムズ・アーカイブス委員会」。休刊した同紙の遺産を引き継いだ元記者らが立ち上げた。今後「名タイ昭和文庫」としてシリーズ化していくという。


【2010年5月 ROOS7】
名古屋城再建の記録本「名古屋城再建」発売
 戦災に遭った名古屋城が再建される過程を伝える写真集「名古屋城再建」(1680円)が発刊。夕刊紙「名古屋タイムズ」(2008年休刊)が当時の再建工事を常点観測した連載記事を元に振り返る名古屋のシンボルの復活劇の記録。着工から完成までや、大阪造幣局で造られた金シャチが名古屋市内でパレードする様子など当時の庶民の熱狂も伝える。同書は名古屋タイムズに掲載された懐かしい写真をまとめた名タイ昭和文庫シリーズの第1弾。今後「商店街」編や「名古屋テレビ塔」編など発刊予定。

地籍図で探る古墳の姿(尾張編)

■地籍図で探る古墳の姿(尾張編)(著者/伊藤秋男 定価2,625円)

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【2010年6月3日(木)読売新聞朝刊】
本を読もう
地籍図で探る古墳の姿(尾張編)―塚・古墳データ一覧― 伊藤秋男著 人間社刊
 南山大学名誉教授の著者は古墳を中心にした東アジア考古学の研究者で、本書は同大学学術叢書の1冊だ。ページをめくると、まず意匠に富んだ森上村(現・愛知県稲沢市)の地籍図に引きつけられる。伊藤さんが地籍図を初めて目にしたのは二十数年前。愛知県教委の歴史調査で同県公文書館を訪れ、どこの村のものだったか、6畳大ほどの原本を目の当たりにした。「色鮮やかな二本がを見ているような思いだった」と振り返る。
 地籍図は1880年代に全国の村単位で作られた。尾張地方では1258村のうち956村の図が残っており、伊藤さんは地籍図に「塚」と記された場所がたくさんあることに気づいた。この中に未知の古墳があるのではないか。古墳情報を集め直す中で、地籍図のすべての塚に当ってみることにした。3年ほどかけて実際に足を運び、その成果を1冊にまとめた。現場写真と地籍図がふんだんに使われているのが魅力的だ。尾張の古墳研究の集大成であることは言うまでもない。(穴田英)


【2010年5月13日(木)中日新聞】
地籍図で探る古墳の姿(尾張編)
人、自然の営み一日で―伊藤秋男さん著―
 南山大学名誉教授の伊藤秋男さんが、地籍図から古墳(塚)の存在を検証し、詳細な資料で分かりやすく解説した考古学書。
 地籍図とは、明治時代に国の命令で各府県が作った地籍帳(土地台帳)に付属する地図のこと。田畑や神社など細かい地目が書かれ、道や河川の幅も正確に記載されており、人間と自然の営みの歴史が見て取れる貴重な資料だ。
 終り九百五十二村分の地籍図に「塚」「ツカ」「貝塚」等の表記があるものは五百十九枚に及んだ。本書では実地調査した古墳が地籍図でどう表現されているかを見るとともに「塚とは何か」という意味付けを探った。巻末には市町村別地籍図情報も収録。


【平成22年6月3日 読売新聞朝刊】

地籍を元に道の古墳へ

 南山大学名誉教授の著者は古墳を中心にした東アジア考古学の研究者で、本書は同大学学術叢書の一冊だ。ページをめくると、まず意匠に富んだ森上村(現・愛知県稲沢市)の地籍図に引きつけられる。伊藤さんが地籍図を初めて目にしたのは二十数年前。愛知県教委の歴史調査で同県公文書館を訪れ、どこの村のものだったか、6畳大ほどの原本を目の当たりにした。「色鮮やかな日本画を見ているような思いだった」と振り返る。
 地籍図は1880年代に全国の村単位で作られた。尾張地方では1258村のうち965村の図が残っており、伊藤さんは地籍図に「塚」と記された場所がたくさんあることに気づいた。この中に道の古墳があるのではないか。古墳情報を集め直す中で、地籍図のすべての塚に当たってみることにした。3年ほどかけて実際に足を運び、その成果を1冊にまとめた。現場写真と地籍図がふんだんに使われているのが魅力的だ。尾張の古墳研究の集大成であることは言うまでもない。(穴田英)

猿まわしの系図

■猿まわしの系図(著者/飯田道夫 1400円+税)

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【2010年5月15日 京都新聞 松岡正剛「本の大路小路」】
もうひとつの日本社会史の浮上

 きのう読んだ。全国の猿まわしの系譜と転移を追って、鋭く日本の社会文化の隠れた本質を凸凹交えて浮き上がらせた快著だった。なかに京の猿まわしは宮中でもおこなわれていたのだが、演者グループは都派と伏見派に分かれていて、伏見派は決してお土居(洛中)には入れなかったとある。差別があったのだ。

【2010年4月11日 中日新聞 読書欄新刊案内】
 人間の似姿として猿を使う芸は古くからあり、神事や芸能として営まれてきた。中世以降の文献を検証し、猿まわしについてその正体と歴史を探る。柳田國男など先人の研究をはじめ、屏風絵や絵巻に見られる猿芸を紹介し、多様な猿の民族や、猿田彦神などの祭事を調査する。中世以降、芸能民の雑芸と解釈されてきた猿まわしに、従来とは別の光をあて、そのコスモロジーを広げた好著。

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